【うつ病対策記】看護師がうつを経験した実体験

今回うつ病になりました。

闘病期間は約半年。今回、復職の目処がしっかりと立ったので今回その実体験を記すことにしました。

医療従事者であるがゆえに、どのようにしたら、寛解までが早くなるのかと色々と試行錯誤してみました。

幸い、心理師の知人がいて友人として接しながら気にかけてもらっていたり、精神科の先生にお世話になったりと多くの方々の支援のもと治療が進んでいきました。

鬱の診断を受けた時のこと

そもそもどのような状態になったかというと、部署を移動したその日に様々な事がわかりました。

その日に妻が体調を崩しました。そこから、様々な事が今後の生活で変わっていくのだと認識していました。

その認識はやがて責任感に変わったのでしょう。とあるときにこれまでできていた仕事ができなくなってきていました。

完全に判断の誤りをすることにつながってしまうこともありました。医療現場でのミスですから、他人に大きな迷惑をかけてしまいます。そのような事があってはならないと思っていましたが、起こってしまいました。ここで積もるものは自責しかありません。周囲もまずいと思っていたようですが、シフト勤務ですからなかなか業務が改善することはありませんでした。

その頃から、朝、職場へ向かう際に職場が目に映ると涙が流れるようになりました。自分でも理由がわからないような感覚でした。

また、職場から帰る時も門を出るまではなんとも言えない恐怖感に駆られていました。自宅に帰ってきても、自分のその日のミスの再発防止にはどうしたら良いかを考えていたり、家族である妻の話を聞いたりしていましたが、なかなか仕事のことが頭から離れることはありませんでした。もちろん部署が変わったことで勉強することもありました。それ以外にもどのようにすれば今の部署がより良くなるのかなども考えたりしていました。そんなことをしているうちになかなか眠れない日々が続いていました。また、家でもほとんどご飯を食べない日々が続いていましたね。職場でもなかなか食欲が湧かない環境でとりあえず、食べないと変だから食べないと。。。と思っていたことも多かったです。正直、今思えば、このようなのは十分な症状であったのだと思います。しかし、それでも職場へは行っていました。そして自分でもできる仕事を探して取り組んでいました。

ある日の朝、衝撃的な日が来てしまいました。朝、起きることはできました。しかし、いつもと何か違う日な気がしていました。仕事に行く時間なのですが、準備が進みません。妻に少し手伝ってもらいながら、なんとか準備が整いました。しかし、家から出れなくなってしまいました。服を着て、鞄も持ち、靴を履いたのですが、そこから、足が震えて出れなくなりました。妻も異変に気がついたようです。そこで、欠勤となり、そこから、初めての心療内科に通うこととなったのです。そこは精神科もあるところでした。

とりあえず、予約をしたのですが、初診だと、4時間ほどかかった気がします。というのも、これまでの性格や経歴と今の状況の両方を考えて、この人がどのような心であるのかを調べる必要があるので、それほどかかるんだそうです。そこから、急務の診断書が出て、休職となりました。

治療初期の頃の出来事

一番お世話になっていた先輩が次の日に飛んできてくれました。その時に言われたことは『何か身につけておくんだよ。』

今思えば、いっちゃダメだろう!って思うこともありましたが、意外とその言葉があとで刺さっていたので、それはそれで良かったのかなあと思います。

とはいえ、最初の2週間くらいはボーっとしていました。家から出ることが本当に怖いと感じていたので、通院以外は家の中に籠っていました。基本的には布団の中にいました。ご飯もとりあえずしっかりと3食食べることだけ考えていました。欲があるかないかに関係なく食べていました。胃痛もありましたね。時々吐き気もしていました。そんなこともあり、しっかり安静にしていました。まぁ、たまに本を読んだり、少しゲームすることもありましたが、それでもそれがかえって苦痛に思うこともあったので、そういう時はやめて休むことに徹していましたね。

1ヶ月たった頃くらいになり、少しずつ外に出てみたら?と言われるようになりました。その時には買い物やコンビニなどは行く事ができました。しかし、周囲の人の視界に入る事がすごく怖く思っていました。まるで、自分はこの世に不必要な人間なんじゃないかと思うことばかりでした。そんな時は妻の存在がそれをかき消してくれていました。それの繰り返し。無気力になってはいけないとひたすら自分に言い聞かせていましたが、それがよくなかったんですね。心理師の知人と定期的に合うようになり、その際に言われていたのは、『戦い方を見つけることが大切!だから逃げることが時には不正解。むしろ正解になることもある。心理学的にはそういうこともよくあるけどね。』その言葉のおかげで全力で逃げよう!とやっと思うことができるようになりました。逃げる日々がひたすら続いていきましたね。もちろん、それでも毎日時間は流れていきます。これまでに自分が本当にやりたかった勉強などを始めていきました。

少しずつ自分のやりたいことをやっていくことが必要だった

実際に触れたことは、

・経済学、経営学、社会学

今後の自分の人生のためにもしっかりと本質を勉強する事ができました。また、現役の経営者の方の話をたくさん伺うこともさせていただき、理論と実際の差を学ぶこともできました。とんでもない、財産になると思っています。

・芸術学

これに関しては、毎朝ipadで絵を描いていました。描くだけでは習慣化に向かないと思ったので、Instagramに投稿することにしました。#毎日アートとして投稿し続けました。時には、あなたの絵は素晴らしいなどとコメントをもらうことで、今までにない感動を味わうこともありました。描き続けてね!って言われ、100日連続で更新しました。

・外に出れるようになってからはテニスをするように

コートが比較的広いので、密にはなりません。また、地域にきちんと使用料を支払うことで、今のご時世には少しでも役に立てるのではないかと考えました。おかげで、少しずつ上達してきました。

・姓名鑑定

今回鬱になった原因の一つでもあるでしょう。家族が増えるということ。もともと自分の名前が画数的にかなり良いことは実は知っていました。だからこそ、画数はしっかりと良いものにしてあげようと思っていました。学ぶためには少しの小手先の技術ではいけないとも思いました。なので、しっかりと鑑定士の師匠をもち、日々努力して鑑定しています。実は学校の同級生の名前などは既に鑑定したりしています。そんなこともあり、一つ良い名前が決まりました。妻の案はやはり天才的でしたね。アイデアを画数で補っていくという事ができて本当によかった。近々彼の名前を呼ぶことになるのでしょう。それが楽しみでもあります。

・倫理

医療者なら一度は学ぶはずなんです。生命倫理がほとんどですが、今のご時世、非道徳的な行いが随分と増えているように思います。医療者としてだけでなく、人として再度学び直しています。こちらもInstagramに毎日投稿するようにしました。同年代の人々に刺さっているのかはわかりません。言葉の理解度のピークは40〜50歳代だそうですから。そんなこともあり、その年代の方々からは同感の声をいただきました。やはり、人間思うことはあるのです。日々継続し、職場に復帰した際にもそれらが生きるようにしたいと思っています。

ちなみに、うつ病の治療は大別すると2つ。薬物療法と精神療法(心理療法)です。いわゆる内服薬の治療と、カウンセリングのような治療になります。

内服治療は抗うつ薬でした。元々は単剤でしたが、それでは症状がうまく収まらず、抗うつ薬と抗不安薬の併用になりました。

心理療法は診察の際にも行われますが、意外と心理師の知人が話を聞いてくれていたのだと思います。

また、知り合いの方々と何度もお会いさせていただき貴重な時間を過ごさせていただきました。そんな経験を経て自分が存在していていい意味を見出す事ができました。

最後に

もちろん、今ではだいぶ体調はよくなってきていますが、日や時間帯によっては体調がとんでもなく悪くなることもあります。ムラがあるので、その波を徐々に整えていくような治療なのだと体感しました。

こんなことを考えている人間は少ないかもしれません。しかし、今回のこの鬱を経て、自分の心の強さ、弱さを知る事ができました。また、時には逃げる自分を愛してあげようと思いました。自分を自分が受け入れられない時にとても苦しむのだと体感しました。これを書いている時にもやはり少しドキドキする事があります。一種のトラウマなのでしょう。これらが完全に消えることはないでしょう。しかし、少しでも慣れていくことがこの先も必要だと思います。休む時はしっかりと休む。これも良い教訓でした。

今回の経験が少しでも多くの方々にとってためになれば良いなと思います。また、僕を支えてくださった多くの周囲の人の方々に感謝いたします。ありがとうございました。

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男性看護師やってますが、マルチポテンシャライトです。 趣味は携帯アプリ!e sportsもあるし… ウクレレやサックスなんかもやってます! ラグビーやバスケットボールもやったりします。